この年、祖父がこの世を去った。父の親父である。
忌引きで1週間家族とともに家で過ごしていた中学3年の俺。母、そして喪主の父は通夜に葬儀から毎日の来客対応まで、こちらが見ていても忙しそうだった。
通常の生活とは全く異なる家族の暮らし。家は家族の物のようでほとんど他人が出入りする開けっ広げの空間となる。父も母も体を休められない空間となる。
それが1週間も続く。特に、葬儀までの3日間は祖父の飲み仲間が顔を見ながら飲みたいと深夜まで居る日さえある。朝の来客も早い。
となると、父は好きな銭湯に遠出ができなくなる。家に風呂があるのに、体がでかいからそこには入りたがらない父だ。元から週に2回銭湯に行くペースの父だったが、家の脱衣場の籠に父の洗濯物がバスタオルにもくるまれず脱いだまま出されたのは祖父が死んで次の日の夕方辺り、つまり通夜の直前だったと思う。
不意に客が途絶えたときに急いで仕方なく家の風呂を使ったはずだし、このとき既に3日以上は同じパンツを身に着けていた父だ。とにかく非常時で体を清める時間もない父。
その夏から45歳の父の汚れパンツを嗅ぎながらセンズリしていた俺は、父が親父を亡くすという、46歳を迎えたばかりの父にとっての悲しい出来事中にもかかわらず父の汚れパンツを狙っていた。
これだけ家の中が忙しいと父の脂ぎった体もよけい汚れてしまうだろうなと思ったとおり、父の脱いだ1枚目のトランクスはケツの当たる広いところが相変わらずウンコの露が付いたように臭かった。前だって小便で広い範囲が臭い。
親父が死んでもケツの臭さが直らなかった46歳の息子の恥ずかしさ。親父の友達が来て飲めば付き合いで相手もしなければならないし、いつも15分ほどもしゃがんでゆっくりできるウンコする時間も取れなかっただろう。苦手な尻拭きが来客のために急ぐのでさらにおざなりになり、そのまま臭い尻で座布団にどっかり座って長時間来客に対応するしかなかった中年息子だ。トランクスのケツのところが臭いのは仕方ないのである。
しかも、母には家族の汚れ物を洗濯してやれる時間がない。母も、尻の臭い父と一緒に祖父の友人や葬儀屋や寺の住職などに対応しなければならない。
そもそも、ベランダのない我が家では裏手の庭に洗濯物を干すし、雨では居間に干すのでどちらにしても邪魔だ。それに、46歳の喪主のLLデカパンが多くの大人の人目にさらされるのも好まなかった母だっただろう。
というわけで、俺たち兄弟もだが父の汚れ物は脱衣場の洗濯籠にしばらく洗われずに溜め込まれることになる。居間から少し離れて風呂場へ行き、家族の洗濯物の山の中から父の汚れトランクスを引っ張り出してケツのところの匂いを楽しむのが何度でもできた。しかも、葬儀を終えても来客があるので洗濯ができず、父が風呂に入ってから3日経ってから2枚目の汚れLLデカパンが洗濯物の山に加わったのである。
そのときのトランクスの後ろの匂いが印象に残る。普段しているウンコの露の匂いだけとは違い、真ん中の尻のところに肥料のような濃いウンコの匂いがくわーんと付いていたのだ。
あーあ、父も忙しいとここまで尻を汚してしまうのかあ。1枚目に劣らず、露は全体的に付いており、ぷわーんと黄色っぽく臭い。それでもって、臭い露の付いた生地の真ん中が、初めて嗅ぐ種類の匂いだ。当然、尻の布の真ん中なのだから尻の穴が当たっていた場所だ。俺が幼い頃から常に椅子を臭くするほどの父の尻の穴が、ついに肥料の匂いのする茶色いウンコ臭をそれこそ排泄をする尻穴の円い感じに付けてしまったのだ。
真夜中や未明は脱衣場ですっぽり頭から被って臭いトランクスでセンズリができる。そろった2枚の尻の部分を片手に並べ広げて交互に鼻を寄せてふがふが嗅ぎながらもできる。
加えて、別に抜きたいほど溜まっていないときでも、あ、ちょっと父のパンツが嗅ぎてえな、と思ったらすぐに脱衣場へ行って山から取り出して臭いのを確かめることができる。昼でも夜でも、祖父の飲み仲間が居間で飲んでいてもだ。でかいトランクスだからすぐに引っ張り出せるし、面倒なので俺のために籠の隅に固めて置いておくこともした。
おそらく忌引きの最後にようやく家が落ち着いて母が洗濯できたその前に2枚のトランクスのケツのところは舌でなめてそれぞれの苦みを味わったと思うが、洗濯ができないうちはむしろ舌を使わずにひたすら父親の臭いケツの匂いを嗅ぎ、長い非常時を乗り切ることができた。
家を出入りする大人たちも裏口近くの脱衣場から籠を漁って父の汚れLLデカパンを取り出しさえすれば、葬儀の間も喪服と座布団とに塞がれて終始臭い喪主46歳の息子のケツの肥料臭が分かるのに、と思った。ウンコの臭い露だって中年のくせに、いや、中年の馬力でたっぷり付いているんだから。
しかしあのとき、親が去っても尻の臭さが直らない46歳の息子のトランクスに親父の死後初めて付いた濃い肥料の塊のようなウンコ臭を知る人物は、その息子である14歳の俺だけだった。息子の太った体にかかるストレスの茶色い証拠をそのさらに下の息子が密かに楽しんでいたということだ。
その頃の父の年齢に近づきつつある今、思い出して書き留めておく。たぶん、父がこの世を去って初めて脱ぐときのパンツに俺は父のように尻の肥料は付けないだろう。父に憧れ父のようになりたい俺は、父のように尻を臭くできないのである。